感謝報恩の精神 --

1998/01/25 ソーブル・ナオ



感謝報恩の精神
感謝報恩の念は吾人に無限の悦びと活力を与うるものにして、
此の念深きところ如何なる艱難をも克服するを得、真の幸福を
招来する根源となるものなり。

大学を卒業し、社会を舐めきって過ごした4年間のツケが一気に廻ってきた。 これが就職して一週間での実感だった。 住宅の営業マンといっても新入社員の頃は顧客ソースの発掘は住宅展示場ではなく、 自分のテリトリー内の古家をチェックし飛び込み訪問をするという方法だった。 一言で飛び込みと言っても馴れないうちはとても恥ずかしいものであり、 また訪問先で邪険にあしらわれると酷く惨めな気持ちになった。 そんな時は学生時代、下宿で酒を飲みながら読みあさった本の一説を自説のように吹聴して 日本の明日を語っていた自分を思い出していた。 そして自分の営業力を棚に上げて、何故今更飛込み訪問なのかと疑問に感じていた。 当然人に感謝などせず、この感謝報恩の精神など全く無縁な存在だった。 しばらくすると段々馴れてきたのと研修などにより、徐々に駆け引きなども修得していき、 営業の技法の一つとしても使えるようになった。そうなると契約率も高くなり、自信も付き 始めていたが、しかしまだ精神は以前のままだった。そんな折りまた一人の見込み客が現れ、 追込み客としてどんどん話を進めていった。自分のシナリオ通りに進んでいく事に酔いながら、 銀行との折衝に立ち会い、休日を返上して来てくれたという事に感謝していただき、 円満のうちに契約調印となった。しかしそのお客には注文してやったという気持ちは皆無で、 寧ろあなたのお陰で家を建て替える事になったという感謝の気持ちを痛い程感じた。 ありがたい事だと感激し、これから引き渡しまで精一杯やって恩に報いなければならないという 使命感を感じた。そしてこれからもやるぞという活力が湧き、どんな障害があっても 乗り越えられそうな気持ちになった。 さてあるスーパーでの出来事、そこは日曜日ということもあり家族連れで混雑していた。 レジの店員は客を機械的にこなしている様子に寂しさを感じた。 どうも感謝報恩の精神を他人にも求めてしまったらしい、少し反省した。

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