読書についてについて --
1990/03/21 アバンチュール・ナオ
別にワープロのうち間違いではありません。読書についてという本につ いて今回考えてみたいと思っているからなのです。ショウペンハウエル (1788-1860)という哲学者がその著者なのですが、訳者の紹介文を借りて 言うと読書をめぐる鋭利な寸言、強烈なアフォリズムの数々は出版物の 洪水にあえぐ現在の我々にとって驚くほど新鮮に感じられます。内容の 一部は「読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に 費やす勤勉の人間は次第に自分でものを考える力を失っていく。」とか 色々書いてあるのだが訳者の言うようにアフォリズムと言えばそうなの だろう・・・しかしそこは岩波文〇、質が下がったとは今の話でずっと前から 出ている作品に関して言えば全く俗化していないのであります。(当た り前ですよね)だから表現が堅い。だけどそれだけにじっくり読めば実に 奥が深い気がしてくるから不思議です。「ショウペンハウエル流にいくと、 読書をすればすひょう窃が多くなると言うことです。もっともこの哲学者 は読書を否定しているわけではないのです。本当にためになる読書とは どういう読書かを説いているのです。」これは木村治美さんの本の中に 書いてあるこの本の紹介文なのですが、確か開高健のエッセイの中にも 出てきましたよ。良書であるからなのでしょうね。ショウペンハウエルは 良書の選択についても言っていて、良書以外の本は時間の浪費であるから 読んではいけないと言っている。なかなか難しいことです。 電車の中の女子学生の会話を聞きガッカリしたことがあります。 容姿は清純そうなのに言葉使いが汚いのです。「あのタコが」とか 「うちのババァ」とかマスコミの影響でしょうか?子を持つ親として 我が子だけはという気持ちがします。森林破壊、フロン汚染よりむしろ 心配になります。そんな彼女たちに紀子さんの爪の垢でも煎じて飲ませて もらいなさい!なんて言っても馬耳東風いや豚に真珠、第一大きなお世話。 そんな人たちは相手にしないで良い人たちだけとつき合えばよい。 なかなか難しいことです。 こりゃどうも本も人間もまだまだ研究が必要の様ですね。